Gallery IKEDA-BIZYUTSU ギャラリー池田美術

AOKI Noe・Collage
青木野枝 展
−コラージュ−
2005年5月16日(月)〜5月28日(土) 日曜休

青木野枝のコラージュ
家村珠代(目黒区美術館学芸員)
 青木野枝がコラージュ展をすると言う。鉄を用いる彫刻家として知られる青木野枝。版画で多少は色のある作品を見たことはあるものの、彼女の作品から色を想像することは難しい。けれども、私生活では奇麗な色をこよなく愛する青木なのだから、きっとマチスのようなカラフルなものに違いない、と勝手に想像していたら、根本的なところから違っていた。それは、いわゆるコラージュではなかったのだ。
 別々の文脈にあるモノたちの思い掛けない出会い。それが、キュビスムから発展し、ダダやシュルレアリスムが多用したコラージュの一般的な用法だ。ひとつひとつのモノには、あらかじめ特定の意味が担わされている。別々の文脈の意味たちであるから、こうもり傘とミシンが手術台の上で、思い掛けない出会いになる。青木も当初は、自ら撮った写真のなかから木や亀などを切り取り、貼りあわせてみた。「でも、どうもピンとこなかった。」
 結局、青木のコラージュは、1枚の写真の気になる部分を領域として切り取り、それを何枚もコピーをして貼り並べたものになる。もちろんそれだって、「糊によって貼りつけること」というコラージュのもともとの意味では、正しくコラージュではある。しかし、それはもはや思い掛けない出会いではなく、あるひとつの気配の増殖であり、拡張である。
 彫刻家としての青木は、1枚の鉄板にチョークで線を描き、それを溶断し、いくつものパーツをつくり、展示空間で、それらを溶接しながら組み合わせていく。ひとつひとつのパーツをつなげることで、バリの残ったままのパーツにまとわりついた空気が拡張し増殖し、いつしかその部屋の空気と一体となって、青木の彫刻作品は、そこで静かな呼吸をはじめる。
 それぞれのパーツには、そもそも確定している意味はない。青木は、まだどこへ向かうかわからない小さなモノのなかにわずかな空気の気配を嗅ぎ分け、その気配が拡張する方向に向かって、その小さなモノを増殖させている。
 そういう世界の住人、煙突の煙、雲、樹木の枝、電線、鉄橋の鉄骨、水が、好んで青木の写真にとらえられる。煙のかたちは、煙の粒子が大気中でつながった、ある一瞬における様相だ。煙を見るというのは、その一瞬のかたちから、そのかたちをつくっている粒子間の世界、ひいては粒子のありかたを想像的に見ることだ。
 煙や水を見ることの逆算として創造する青木が、コラージュでは、たとえば煙そのものをパーツにする。煙と煙とを積み重ね、煙突から湧き出る煙に青木が見ている気配にまで純化させる。
 顔色や音色という言い方には、古い日本の言葉での「色」の用法が残っている。色は匂いとともに、色彩というのを越えて、ものの表面に表れているそのものの状態を差していたのだ。青木のコラージュは、そうした古い意味で、カラフルだったのだ。

 

足尾 25.3×33.0cm
南禅寺 25.7×36.2cm
タイタン 25.8×36.5cm
北方民博ビデオ-4 25.8×36.2cm
「水のとどまるところ - II」2005
h.7.5×w.85×d.61 cm 白銅(鋳造)
「水のとどまるところ - I」2005
(各)h.9.5×w.59×d.58 cm 3点組 
ブロンズ(鋳造)株式会社 資生堂 蔵
<略歴>

1958 東京生まれ

1983 武蔵野美術大学大学院造形研究科(彫刻コース)修了
1994 「SHISEIDO GALLERY ANNUAL'94 青木野枝個展」資生堂ギャラリー(東京)
1995 「近作展-19 青木野枝」国立国際美術館(大阪)
1999 「青木野枝展 - 軽やかな、鉄の森」目黒区美術館(東京)
2003 個展「熊と鮭に」国際芸術センター青森
2004 個展「空の水」入善町下山芸術の森 発電所美術館(富山)
2005 現在 東京在住

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